グロブログ

好きなことならよくしゃべる

忘れに備えて記録する その1

最近は動画あげてないけど前までよくゲーム実況を観させてもらってた実況者がいて、その人お決まりの冒頭挨拶があったんだけどあまりにも更新頻度が空くから「お久しぶりです」が最早定例挨拶みたいになっているということがあった
自分もそれである(書き出しのフォーマットはないけど)
お久しぶりです(久しぶり過ぎてはてなブログ公式から、そろそろ新しいブログ更新しませんか、と催促されてしまったよ 飽きてないよネタを練ってるんだよ)


この前家に向かって歩いてる時、小学校低学年くらいであろう女の子とその父親が自転車で並んでその日学校であったことを話しながら横を通り過ぎて行った
よく見る光景と言えばそうだしその家族にとっても日常の一部となっていることだろうし自分も意識して聞いてたわけでもない
ただ、幸せってああいうことを言うんだろうと漠然と思った
微笑ましさを感じ思わず笑みがこぼれる
遠ざかって行く2人の背中と正面から注ぐ夕陽、そして将来の自分の理想像なんかをそこに重ねたりして僅かな高揚感を感じていた






他人同士が話しているのを心ならずも聞くという場面は多々ある
電車内、レジの順番待ちをしている時、講義前の休み時間etc…
共通してるのは揃いも揃って話している内容が面白くないこと(たまーに聞いていて吹き出しそうになる話をしている人達もいるが)
話している本人達は楽しそうにしているので盛り上がっているのだろう
だが一生懸命耳を傾けて聞いてる訳では無いから話の全貌はわからないけど、それそんなに面白いか?となるのである
内輪ネタというものが存在するわけでそれは当の本人達だけが楽しめるものだ
自分も内輪ネタ大好き人間だしその楽しさは十二分にわかる
高度のやり取りができる仲間内というのは一緒にいて至極楽しい
それに当たるものも多くあるだろうが全部が全部そうとは思えない
そして他人の会話は時に自分の気分を不快にさせる
なんとなくこの斜に構え現象を自分なりに分析してみた

きっとその現象に陥る根源の感情というのは嫉妬なのだろうと思う
興味も無い他人の会話を聞いているのは大抵1人の時だ
自分が1人でいることと他人が楽しそうにしていることのギャップのようなものを感じ、強がってしまうのだろうか
あるいは他人とはいえそれが顔見知り程度の関係の人達である時はそこに入れる可能性もある
その可能性が現実にならないことにまたまた強がってしまうのだろうか
誤解がないよう言っておくがなんでもかんでも他人の輪に入りたいというわけではない(これは強がりではなく)
考えても明確な答えは出てこない
代わりに堅く考えてしまういつもの悪い癖が出てしまった
無駄に尖ってしまう自分を自覚し、また1つ大人になるための客観要因を見つけられたことがせめてもの救いだと思いたい
人間関係はやはり難しい
その一言に尽きるのだった





もうすぐ夏が来る
高校生ぐらいの頃から夏よりも冬の方が好きになってきたけど依然夏も好きだ
夏しかできないことはいっぱいあるから、一番計画的に過ごさなきゃ行けない季節なのかもしれない
大学生になり少しは時間の融通が利くようになったので今年は今まで無かったようななんというか、印象的な夏にしたいと思っている

夏=楽しい という式は成り立つと思う
海、花火、夏祭りの自分的三大巨頭を筆頭に、想像するだけでウキウキワクワクしてしまうような行事・イベントが盛りだくさんだからだ
日も長いしいっぱい遊べる
ただ夏の思い出はいつも切ない、と感じる
楽しい思い出もたくさんあるけど真っ先に出てくる感覚は「切ない」なのだ
それはどこか遠くにあるもののように感じられ、柔らかなベールに包まれていてその中には入れない
思い出の一場面にあったはずの陽炎がフィルターみたいにはたらく
だから晴れていた日の思い出のほうがより切なく感じるのだ
ひと夏の思い出
これを逃さないために、充実させるために今から夏を見つめてる



大学一年生の6月現在は
ベースを弾くことへのモチベーションが高い
バイトをしなければと焦っている
7月に向けてお金を必要としている
心理学以外の勉強にはあまり関心がない
宅建やらマンション管理士やらインテリアコーディネーターやら、漠然とではあるがそういう関係の資格を取りたいなーと思っている
それなりには毎日を楽しめている
といったところであろうか





実はもう1本同時進行でブログを書いている
このブログを書いてる最中にネタが浮かんだのでそっちも書き進めている感じだ
だから前回と今回ほどのブランクは開かず、割と直ぐに上がると思う
でもあまり期待はせず気長に待っていてくれたら嬉しい

じゃあ今回はこの辺で
最後まで読んでくれてありがとう、幸せです
またね。